熱の夜

 

こんにちは。

テラハの木村花さんが亡くなったと聞きました。

まだ全然木村さんが出てくるところまで見れていなかったので、

詳しくは存じ上げませんでしたが、

なんとなくSNSで色々言われていることは知っていました。

ご冥福をお祈りします。

 

木村さんのことを良く存じ上げないので恐縮ですが

彼女のことを考えながら今日は作詞しました。

 

 

 

 

熱の夜

 

 

うんざりするような熱の夜を君は知らない

握りしめた手には涙の跡

ベッドの下の猫の小さな前足

少し歪んだ壁模様

じっと睨みつけた明日の方角

まだ僕はそれでも生きている

 

うんざりするような熱の夜を君に教えよう

誰かの日常コンテンツとして消費

にこやかで明るい場所で発された言葉

その一つ一つが耳に残り

囁くんだはっきりと

お前もそろそろ静かな船出をしないか

 

うんざりするような熱の夜が明ける朝

日々の音が尖って聞こえる

布団の柔らかさをスルリと抜け

明るいはずの空は凍って見える

じっと睨みつけた僕の命

船出を決めた 永遠の初夏へ

 

 

 

 

 

マドンナ

 

マドンナ

 

薄いガーゼの透けたベールで

世界を柔らかく包めたら

或る意味皮肉よね

この世界にも綺麗なものはまだ沢山あるのに

 

海辺で拾った貝殻を

見える場所に飾ったら

誰もが笑顔で振り向くわ

小さいときに習ったの 

ううん 私からだよ

この島じゃみんな私が好きなの

どこか異国の名も知らない花の咲く

美しい場所を知っているから

 

遠く懐かしい香りの虹を

もう一度ここにかけて見せたら

あなたはどれだけ綺麗に目を輝かすのだろう

茜に染まった夕暮れの夏空に

何にも色づかないこの地で

あなたの手首に優しくキスをした

 

 

 

 

 

 


こんばんは。

最近、母と色々あったんですよ。

詳しくは書けないんですがそれについて書きます。



私はとっても良い子供でした。

親の言うことを聞き、わがままは飲み込むことを覚え、親の気にいることをすると喜ばれると学んだ幼稚園生時代。

いい子ね〜と言われて育ちました。


母が大好きでした。

理不尽なことをたまに(よく?)言われても、成績が悪くてビンタされても、母の喜ぶことを一生懸命考えていました。

特に、私に文学を、歌を、映画を、ドラマを教えてくれた母が好きでした。


母は正しいと思っていました。

この年になるまで、何も疑わず。

大人になったのだから、母はわたしよりも経験が多いのだから、沢山苦労してるのだから。


この前は、母の日でしたね。

いろんな人が母の日の幸せそうな投稿をする中、わたしは長年母に騙されていたことを知りました。

あまりにも大きな裏切りをされて、ショックでした。


しかし、母の顔を目の前にして、許さないわけにはいかなかった。

毎年書いてる母の日のお手紙を書けなかった。


夜中起こされて、母の日の手紙がないことを母に責められた。

今日は無理だよ、今度書くよ、と伝えても。

悲しい、悲しい、楽しみにしてたのにと繰り返す母。


涙を飲んで、母への感謝を振り絞って短い手紙を書きました。

インスタのストーリーに繰り返される母の日の感謝の投稿を見つめ、また泣きました。

携帯を放り出し、自分の気持ちを裏切り、母に同調することを選んで寝ました。


その数日後、許した舌の根も乾かないうちに、

また母に裏切られたことが判明。

今度はもう棒で殴られたようなショックでした。


何もしたくない、

何も考えたくない、

どこかに消えたい、。


泣いて謝る母の声に、白けた空気を感じたのが何かの合図のように、

わたしは敬語で母にもう暫く会えないと伝えました。

母と距離を置くことを選びました。


コロナが終わったらカフェに行こうね、ミュージカルに行こうね、と約束していた。

そのすぐ後に、暫くの別れを告げました。


実家は出ているものの、わたしの今の家にも母縁のものは沢山あります。

母と一緒にみたミュージカルのDVD、母にも勧めた美容道具、母から貰ったプレゼント。


私の愛した母はいなくなったのか、と

何度も裏切られたにも関わらず涙が止まらなかった。

わたしの中の何もかもに母は生きていた。


でも、それも問題だったんだ。

わたしは母ではなく、わたしなのだから。


私が、自分の母を毒親だと認めた夜でした。その事実を飲み込むのが苦しくて苦しくて、涙が止まらず、なかなか眠れませんでした。


まだショックから立ち直れておらず、ふとしたときに母のことを思い涙が出ます。

一週間後には母との直接対決が予定されてます(今後の話を他の人を交えてします)。

その日自分がまともでいられるかわかりません。


ごめんなさい、本当にただの殴り書きです。今度ちゃんと書き直します。

疲れたので眠ります。

或る女の恋模様

 

花なら桃色

遠いパーカッションの音

こんな青春初めてみたい

いにしえの恋はとうに終わったの

このまま私をどこまで

連れて行ってくれる?

 

恋と愛の違いなんてまだ

理解しなくてもいいんじゃないって

誰かがそっと囁いた

これがパラレルなら一生冷めないで

一輪のバラと引き換えに

あなたのまぶたにキスをするから

 

人を酔わせる

カシスのような罪の味

口にしたときは遅かった

もう何度目のロマンを追いかけて

このまま深い眠りに落ちたら

あなたは私を取り戻す?

 

薄っぺらい恋なら安売りしないで

冷えた身体には甘い雨

誰にも知られずそっと呟くの

もう引き返すところなんてないの

一輪のスミレを返してちょうだい

それだけを思い出に夢を見るから

 

ジョーカー 崇高な死よりも冗談な生を

 

 

こんにちは。

 

この前、久々に映画を見ました。

「ジョーカー」。

去年公開された話題作ですね。

多くの批評家の意見を見て、私もずっと見たかったのですが機会を逃し続けていました。

アマプラレンタルで見ました!

 

まぁ、つらつらと感想を書いていこうと思います。

※以下ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

アーサー、本当に不幸な男ですね、、。

こんなにふりかかることある?ってくらい理不尽な不幸に巻き込まれまくります。

そして、運も悪いですね彼。

ピストル落としたり、変なサラリーマンに遭遇したり。

 

でもね、意外と周りにいるんだと思います、こういう方。

悪い人でもなんでもないのに、なんとなく人からあまり好かれず、

なかなかに運も悪い人。

私も周りにいたような気がします、学生時代。

なんだか、いつも何かを怖がっていて、でも世間に溶け込もうとしてなのか半笑い状態の表情をよく浮かべていたように思います。

私は同じクラスなどではありませんでしたので話したりはあまりしませんでしたが、、、。その子は今どうしているのでしょう。

 

脱線しちゃいました。

 

何も悪いことをしてないのに、疎ましがられ、負を背負う。

そんな人々にも夢や希望、愛があれば頑張ることができますね。

アーサーは、コメディアンとして大成する夢、母親への愛情、隣人シングルマザーへの恋心(?)で頑張って自己を保ちながら生きていたように思います。

神経が昂ると笑ってしまう、という持病を抱えつつ、彼は健気に生きていました。

 

そんな彼の中に潜む危険分子として、日記に書かれていた

「この人生以上に硬貨(高価)な死を望む」という言葉があります。

一体どういう意味でしょう。

ジョーカー(冗談屋)としての片りんの「硬貨」、「高価」という文字遊びの中に

生きていることより死の方が価値があるという思考が見えるように思います。

これがのちに、アーサーが殺戮を繰り替えすダークへと染まる考え方の元なのかもしれませんね。

 

なんとか健気に生きてきたアーサーも、会社クビ(会社の仲間や仕事との絆が切れる)から狂い始めました。

セクハラサラリーマンたちを衝動で殺し、一気にその狂気は加速します。

人間のタガが、一度衝動で壊れると怖いですね。

 

でも思うんですけれど、誰もが何かを我慢して生きているのではないでしょうか。

無意識化ではあったとしても、この世界の常識やルールに皆全て納得して生きているのでしょうか。

でも、そのルールを破ると豚箱行きです。

誰が決めたのか知りませんが、世界はそのようなルールである程度の民間統制は取れてきました。

まっとうに生きること、それは我慢比べに似ていると感じました。

順応力の高い人はそこまで苦労しなさそうですが・・・。

 

信じていた母親の過去からの妄想と同時に垣間見える成功者の姿、自分は結局何者であるのかという葛藤、自身の妄想で出来た愛も現実では露と消え、もう何も残らない・・・。

ついにジョーカー(冗談屋)誕生です。

どんな悪事も冗談として済ましてしまう質の悪すぎる極悪人。

(余談ですが、TWからのメッセージが書かれた母親の写真がありましたね、、、。TWも悪いやつすぎます)

 

しかし、前述したとおり、彼を一概に悪人とするのはこの映画の本意ではなさそうですね。

誰もが抱えた我慢と衝動を爆発させた男。そう、誰にでもジョーカーになる可能性はあるということ。

最後のシーンでも周りのピエロにあんなに崇められて、、、。

衝動を実現させた男はあの手の輩から見たらヒーローと同等なのでしょう。

 

そうそう、トーマスをジョーカー自身が殺さなかったのは意外でした。

しかし、きっとこれもジョーカーのせいになるのでしょう。

誰かひとりをいけにえに、周りがその影に隠れて悪事を働く。そのような人間の浅ましさと狡さの犠牲にもなったんですね、ジョーカーは。

しかしブルースがあのあとバットマンになるのはこの映画最大のエモポイントではないでしょうか!

私はバットマン原作を見ていませんが、一度視聴したくなりました。

 

 

まとめます。

ジョーカーは結局、衝動を爆発させ狂ったことにより

崇高な死よりも冗談で生きることを選んだのではないでしょうか。

その生きた先に何が待ち受けているかは置いておいて、これが彼の本性、生の表れであると。

世間のルールを破り、破壊を繰り返すその姿は、

ある者には恐ろしい犯罪者、

ある者には日ごろのうっ憤を代わりに晴らしてくれる存在、

またある者には近い未来の自身の姿、、、。

そのように映りそうです。

この映画が危険視され、アメリカでは公開するか議論されたという話も聞きますが、その理由がよくわかります。

人間は信じていたものが切れた時、本来の生に走ることがある・・。

それは必ずしも安全であるとはいえない・・・。

 

ジョーカーはどこにでも潜んでいます。

みなさんは、どう生きますか?

 

 

こんなことを問いかけている映画だったように、私は感じました。

 

※私はこの映画を見たからと言って犯罪を犯す気はありませんよーーー!!!皆さまも人に迷惑をかけることはせずに生きていきましょうね!大丈夫かと思いますが、念のため。

 

尊敬する人


こんばんは。


また何日か空いてしまった、、。

あまり、プレッシャーを自分にかけるのもよくありませんね。

楽に続けていける頻度で書きます。


今日は、わたしの尊敬する人について。


わたしには尊敬する人がいます。

なんで尊敬してるのか。


何にだって優しい(人、物に限らず)。

綺麗なものを綺麗と言える。

自分の人生を楽しんでる。

よく笑う。

努力家。

決めたことはきちんとやる。

人の気持ちに寄り添える。


まだまだ尊敬する点は沢山ありますが。

わたしもこういう人間になりたいと本当に思います。


ただ、こういう話を誰かからか聞いたことがあります。

憧れは、自分の鏡であると。

自分が常々心掛けていることを同じく心がけて実践している人に、人々は憧れている節はあるのだと。


だから、もしかしたら自分の尊敬する人は、他の人からみた自分と似ているのかもしれない。

だから、憧れの人と自分は知らぬ間に似通うことが多い。



、、ま、こんな話があるってだけで、

わたしが周りから、わたしの尊敬する人と同じように見えているかは自信ありませんが、、。


いつか、同じように誰かから憧れられるような素敵な人間になりたいなと思います。

人間として、深みのある人になりたいですね。



わすれもの


こんにちは〜。


GW、いかがですか。

自粛は今後も続きそうですが。

わたしは割と毎日楽しくステイホームしてます。


家でだからこそできる遊びを考えちゃあして、の繰り返し。

日常の幸せに気づける期間だと思いながら今後も頑張りましょう。


さてさて、忘れ物について。

といっても別に普段のいわゆる忘れ物じゃありません。


人生って忘れ、忘れ、の繰り返しだと思います。

この年になると、覚えることより忘れる方が多いような気も。

記憶を効率的に行うために、脳は積極的に忘れるという作業を行なっている、というデータもあるそうです。


子供の頃好きだった食べ物。キャラクター。

あの日出会ってそれっきりになった友達。いつか食べて美味しかったからまた食べたいと思ったお菓子。


なんだったっけ、あれ。

そんなものが多いです。


忘れていたものをもう一度記憶から掘り返した時に感じるノスタルジーは心地よいものであることが多い気がします。

悪い記憶も、アァそんなことあったなぁ、懐かしいなと済ませたり。

あまりにも嫌な記憶はトラウマなので思い出したくありませんが。


そんなこんなで、人間は多く忘れ物をします。過去に落として、流してきます。

流したくないものだって、あるはずなのに。


わたしが好きな曲、SEKAI NO OWARIさんの「花鳥風月」のなかに、


私は何も忘れたくないの


という歌詞があります。


私はこの歌詞の部分が好きなんです。

単純ですが、嫌なことも良いことも忘れないで、全て自分のページに残していきたい。


記憶は流れることで、脳を効率化し、嫌なことも時間が救いますが、それでも自分の人生の中に彩りを加える出来事を忘れたくないと思うのです。

一昨年の今日食べていた夕飯さえも。


わがままですかね。

実際無理なんですけどね。


このニニ日記も、そんなわたしの流したくない思想の記憶を詰めています。

その時かんがえていたことを忘れないように。


わたしみたいなタイプの人にとって日記とは便利なものですね。

毎日更新、、また頑張ろ。


ではでは。